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名古屋地方裁判所 昭和56年(ワ)2834号 判決 1985年12月13日

原告

後藤智子

原告

後藤孝幸

原告

後藤正紀

原告

竹内恵子

右四名訴訟代理人

鍵谷恒夫

被告

株式会社太陽ホーム

右代表者清算人

米田親良

右訴訟代理人

村瀬尚男

主文

一  被告は原告後藤智子に対し、一九二万三一六二円及びこれに対する昭和五六年一月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告後藤孝幸、同後藤正紀、同竹内恵子に対し、各六四万一〇五四円及びこれに対する昭和五六年一月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を各支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告智子に対し八七一万六、一二八円、原告後藤孝幸、同後藤正紀、並びに同竹内恵子に対し各三〇八万八、七〇九円及び右各金員に対する昭和五六年一月一四日から支払ずみまで各年五分の割合による金員を各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和五六年一月一四日午前九時四五分ころ

(二) 場所 名古屋市中区栄一丁目一一番一六号交差点付近

(三) 加害車 普通乗用自動車

右運転者 訴外池田暁彦(以下、「訴外池田」という。)

(四) 被害者 訴外亡後藤正雄(以下「正雄」という。)

(五) 態様 正雄は、自転車に乗つて、右交差点の横断歩道を青信号に従つて進行中、右側方から赤色信号を無視して進行してきた加害車に側面衝突されてその場に転倒した。

2  受傷、死亡

正雄は、前項の交通事故(以下「本件事故」という。)により右胸部右手を強打して挫傷をうけたが、同人には心臓病(心筋梗塞)の持病があつたので、右挫傷による衝撃とそれにひきつづく長時間にわたる捜査官の取調等による疲労によつて、同日午後四時頃、名古屋市中村区水主町二丁目一番一八号において、心不全を惹起して死亡した。

3  責任原因

被告会社は加害車を保有してこれを自己のため運行の用に供していた。

4  損害

(一) 正雄の損害

(1) 逸失利益 八一三万二二五六円

正雄は、本件事故当時、年令六七才で、名古屋急便協同組合に事務員として勤務しており、月額平均二二万円の収入があつたものであるところ、同人は少なくとも六年の就労可能年数があり、同人の生活費は収入の四割とするのが相当であるから、同人の死亡による逸失利益は年別ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、八一三万二二五六円となる。

22万円×12×(1−0.4)×5.134=813万2256円

(2) 慰藉料 一五〇〇万円

(二) 原告ら固有の損害

(1) 葬儀費 原告ら各一五万円(合計六〇万円)

(2) 弁護士費用 原告後藤智子五〇万円、その余の原告各二五万円(合計一二五万円)

5  相続

原告後藤智子は正雄の妻であり、その余の原告らは正雄の子であるところ、正雄の死亡により同人の被告に対する損害賠償請求権につき法定相続分に応じ、原告後藤智子が二分の一、その他の原告らが各六分の一を相続した。

6  よつて、原告らは被告に対し、損害賠償請求権の内金として請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による金員)を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)ないし(五)の各事実は認める。

2  同2のうち、正雄には心臓病(心筋梗塞)の持病があつたこと、同人が原告主張の日時、場所において死亡したことは認め、右死亡と本件事項との因果関係は否認し、その余の事実は不知。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実は否認する。

三  被告の主張

1  相当因果関係の否定

正雄は、持病の心筋梗塞のため死亡したものであり、本件事故と同人の死亡との間には因果関係又は相当因果関係はない。以下その点について詳論する。

(一) 正雄が受けた傷害の程度

本件事故により正雄が受けた傷害は、事故直後の山崎医師の診断では全治約二週間を要する程度の右胸部、右手挫傷で、予後も良好と見られていた。又、翌一五日なされた山田医師の解剖検査とその結果に基づきなされた鑑定でも、被害者に存した損傷は胸部に表皮剥脱、両上下肢に皮下出血、表皮剥脱等を認めるのみでいずれもそれ自体単独では死因となりえない軽度なものである。

(二) 本件事故の態様

正雄の自転車の損傷状況は後部荷台の書類入れに凹損、後輪ホークに凹損が存し、それは当つてへこんだという程度のものである。又、本件の加害自動車の損傷状況は左前フェンダー角塗膜剥離、左前バンパー角擦過痕、前部ナンバープレートの凹損が存し、いずれもわずかなものである。

又、加害車の運転手訴外池田が正雄を発見した時の速度は約三〇キロメートルだつたと思う旨述べており、事故を目撃したタクシー運転手訴外宗和誠は加害車が右折してきたのではないかと思つた、それは速度がおそかつたのでそう思つたと述べている。

そうして、前述した正雄の傷害の部位、程度を考え合わせると、本件事故は、加害車が停止するに近い状態にあつて、直接加害車と正雄の身体がぶつかつたのではなく、加害車と正雄の自転車がぶつかつて自転車に乗つていた同人が自転車とともに転倒し、路面で右手、右胸を打つたというもので正雄自身がうけた衝撃はこの種の交通事故のうちでは比較的少なかつたといいうるものである。

(三) 事故後における正雄の行動と時間の経過

本件事故の後、正雄は自ら起き上り、胸や手の痛みはそんなにひどいものではなかつたことから自分で自転車を起し、引きずつて歩道の方に寄せたうえ勤め先に電話しているのである。そして、五分位して同僚の訴外宮川晃一(以下、「訴外宮川」という。)が事故現場に到着し、正雄から事故の状態を聞き警察へ行こうとしたとき、現場に警察官が来たところから事故の説明をし、約一五分位の簡単な実況見分を終え、正雄を同道して近くの山崎外科へ行つたのである。そこで一五分から二〇分位待つたのち正雄の診察が行われ、レントゲン撮影と患部の湿布などの治療をうけた。その時間は二、三〇分であり、その結果前記の診断をうけた。その後、正雄らは一二時少し前に中警察署に出頭したが、取調べがすぐに行われなかつたことから、近くで食事をし、一二時四〇分頃同署に戻り一時間位待つた後取調べがあり、終つたのは三時半過ぎであつた。そして正雄らが勤務先事務所に着いたのは四時一〇分頃で、正雄は事務所の女性と話しをしていたようであるがその場で倒れてしまつたのである。

その間、正雄には特に異常を認めるような切迫した状態にはなかつたのである。

(四) 正雄の既往症

正雄は死亡する六年前に心筋梗塞で三ケ月入院し、以後毎月一回の割合で中村日赤病院に通院しており、高血圧症、狭心症、陳旧性心筋梗塞にて治療をうけていた。その時のカルテの記載によると、慢性の心筋梗塞がありある程度の動作をすると狭心発作が起るというような病歴(持病)があつた。

(五) 正雄の死亡原因

(一)から(三)で述べた正雄の傷害の程度、本件事故の態様及び事故の経過のうちには正雄の死亡原因となる要素はない。正雄の死亡原因は同人には前述した既往症があること、及び前示剖検所見では、心臓が普通の三〜四〇〇グラムに比して正雄のそれは七四〇グラムという異常な大きさで局限に近い重さを示し、心臓の血管である冠動脈も非常に動脈硬化が強く、更に全身性に動脈硬化が認められていることからすれば、この心臓の病変が死因となつたものである。それ故に前示加害車運転手はこの点で業務上過失傷害の罪で処罰されたのである。

又、仮にストレスが正雄の既往症に影響し死亡に至つたとしても、当該ストレスが本件事故によるものか否か不明である。

よつて、本件事故と正雄の死亡との間には因果関係又は相当因果関係がなく、被告は正雄の死亡による責任を負う義務がない。

2  割合的認定ないし寄与度

仮に百歩譲つて被告に正雄死亡による責任が認められるとしても、同人の死亡の原因は既往症の病変であり、本件事故がたとえこれに影響したとしても事故の寄与度はあるにしてもわずかにすぎない。被告の責任はこの限度で認定されるべきである。けだし、衡平な損害負担の理念に照せば右寄与の限度に限られるべきだからである。

3  過失相殺

仮に、被告に正雄死亡による責任が認められるとしても、正雄自身に次に述べる過失があり、死亡という被害に損害が拡大したのであるからこれを斟酌すべきである。

すなわち、正雄は前述した既往症を有するのであるから、本件事故後は安静にし、且つ、飲食物を摂取する等してストレスの発生やそれによつて生ずる血栓の発生を予防し、場合によつては入院する等の措置を講ずる等して病変の発生を防止すべきであつたのに不注意にもこの点を看過して病変をまねき死亡するに至つたのである。自らの不注意によつて病変を回避することができなかつた被害者の過失は大きい。

第三  証拠<省略>

理由

一交通事故の発生

請求原因1の(一)ないし(五)の各事実は、当事者間に争いがない。

二本件事故と正雄の死亡との間の因果関係

1  <証拠>によれば、以下の(一)ないし(三)の各事実を認めることができる。

(一)  正雄は大正二年九月一日に出生した者(本件事故当時満六七才)であるが、本件事故の六年前に心筋梗塞に罹患し、以後名古屋第一赤十字病院で心筋梗塞、高血圧、狭心症の診断の下に本件事故に至るまでの六年間一か月に一回の定期的な通院治療を受けていた。正雄の身長は一五五センチメートル、体重五九キログラム、血圧(水銀柱)九〇〜一六〇ミリメートル、八〇〜一二〇ミリメートル、胸部X線上心胸部比六七パーセントであり、心電図・前壁梗塞、心室性期外収縮があつた。

正雄の自覚症状は前胸部に重しを乗せたような圧迫感が一日二、三回から週二回程度あり、五分ないし一〇分間持続するが、薬(ニトロール)でよく軽快した。また、正雄は、心不全の臨床症状から昭和五五年九月、一一月にその重症度をNYHA分類により三度(心疾患を有し、身体活動が高度に制限される患者の安静時は無症状であるが、普通以下の身体活動で疲労、動悸、呼吸困難あるいは狭心症の症状を呈する場合)とも判定されている。

そんな正雄は医師により階段を昇つてはいけないと指示されていたものの、仕事をすることは許されていたので、勤務先では自転車を利用して集金業務をし、殆んど欠勤はなく、特に症状の悪化のため勤務を休むことはなかつた。また酒は飲まず、タバコも発病以来断つていた正雄は毎朝午前六時半に自宅を出て、電車とバスを乗り継いで勤務先へ行き、そして午後六時半ころ帰宅し、入浴するという生活をしていた。

(二)  本件事故は、訴外池田が普通乗用自動車を運転し、時速約三〇キロメートルで交差点に進入しようとしたところ、左前方約三・三メートルの地点に自転車に乗つて左方から右方に横断中の正雄を発見し、直ちに制動の措置を講じたが間に合わず、前記自動車の前部を前記自転車右側部に衝突させて正雄を転倒させたものである。なお、訴外池田は、本件事故をひき起し、正雄に傷害を負わせたのに、直ちに車両の運転を中止し、正雄を救護する等必要な措置を講ぜず、かつ事故発生の日時及び場所等法律に定める事項を直ちに最寄の警察署の警察官に報告せず、逃げ去つてしまつている。

そして正雄の自転車の損傷状況は後部荷台の書類入れの地上から高さ〇・七メートルの箇所及び、後輪ホークの地上〇・四三メートルの箇所に各凹損が存するというものであり、また、一方加害車の損傷状況は左前フェンダー角塗膜剥離、前バンパー左寄りに擦過痕、前部ナンバープレートに凹損が存するというものであつた。

正雄は前記自動車との衝突により衝突地点から約二メートルの地点まで左横に飛ばされて転倒し、路面で右胸と右手を打つたものの、自ら起き上り、その際右胸や右手に痛みを感じたが、それ程ひどい痛みではなかつたので、自分で自転車を起し乗ろうとしたが、動かなかつたため、引きずつて歩道の方に寄せ、勤務先である訴外名古屋急便協同組合に電話した。そうしたところ、五分位して、同組合の総務課長訴外宮川が本件事故現場に到着したが、その時の正雄の顔はまつ青で、気分が悪そうな様子であつた。正雄は訴外宮川に事故の状況を話し、同人とともに警察へ行こうとしたそのとき、警察官が訪れた。そこで、正雄はその警察官に事故状況の説明をし、同警察官の実施する約一五分位の簡単な実況見分に立会つた。

そしてその後、正雄は訴外宮川に同道されて、近くの医療法人山崎病院に行き、一五分から二〇分位待たされてから医師山崎昌宏の診察を受け、レントゲン撮影と患部の湿布などの治療を受けた。なお、右の折同医師は、正雄の右胸部、右手挫傷について全治見込み二週間(予後、良好と思われる。)と診断した(なお、愛知医科大学医学教室医師山田高路は、解剖検査による結果として、正雄には胸部に表皮剥脱、右左の上肢及び下肢に皮下出血、表皮剥脱等が存するが、これらはいずれもそれ自体単独では死因となりえない軽度なものであると判定しているところである。)。

正雄は中警察署の警察官の指示に従つて、前記山崎病院から診断書の交付をうけ、同日正午少し前に訴外宮川とともに同署に出頭したが、取調べが直ちに行なわれなかつたことから、近くに食事に行つたものの、正雄には食欲がなくほとんど食事をとらなかつた。そして、午後〇時四〇分ころ、中警察署に戻つたものの、更に一時間位待たされてから取調べがなされ、正雄の司法警察員に対する供述調書が作成されて午後三時半過ぎに取調べが終了した。その後正雄は、訴外宮川運転の車に乗つて勤務先の事務所に午後四時一〇分頃着き、そこで事務所の女性と少し話をしていたようではあるが、その際急にその場で倒れてしまい、訴外宮川も急いで救急車の手配をしたが、救急隊員が到着した時には、正雄も既に死亡していた。

(三)  正雄の遺体は昭和五六年一月一五日に解剖検査されたが、医師山田高路のその結果によると、「心重量は約七四〇グラム、左室の内膜に前壁から中隔にかけて高度な線維化、戻室弁基部に著明な硬化性変化があり、また心尖部は非薄化を示し、冠状動脈は前下行枝分岐部附近で著明な内腔の狭窄及び全般に硬化性変化があり心のう内には淡黄色の液を入れ血性ではなく、大動脈は中等度ないし高度なマテローム変化があり、肺は左右ともうつ血が著明であつた。そして、結論として、正雄の死因と関連するような損傷は認められず、また中毒死を疑わせる所見も認められない。眼結膜や腎盤腔粘膜に溢血点を認め、心臓内にはごく少量の軟凝血は含むものの多量の血液を容れ、肺臓、腎臓、肝臓はうつ血状を呈していることから急死した疑いがもたれる。そこで重要臓器の所見をみると、心臓が著明に肥大して重量も約七四〇グラムであり、心内膜に線維化房室弁基部に硬化、冠状動脈にも著明な硬化狭窄が各みられることから、正雄は心不全により死亡したものと考えられ、肺臓のうつ血性変化もこれに一致している。その他の重要臓器には死因となりえるような著変はみられないことから、正雄は心不全により病死したものと認められる。」と判定しているものである。

2  以上の事実から正雄の死因は同人が生前有していた心臓の著明な肥大と冠動脈の狭窄、動脈硬化性などの心疾患を基礎として発生した急性心不全にあると認めるのが相当である。

3 ところで、前記認定事実と<証拠>によれば、正雄の前記循環器疾患は急性期死亡(突然死)を起こす率が高いものであるが、情動ストレスが循環器疾患患者に悪影響を与え、それがその患者の急性増悪因子になりうること(但し、その間の機構の解明は必ずしも医学的に完全に明らかにはされていない。)、そして本件事故は正雄としては青信号に従つて横断中に加害車から突然衝突されたもので、その傷害の程度が全治二週間の右胸部、右手挫傷でそれ自体直接死因になるものではないとしても、多大の情動ストレスを与えたこと(訴外宮川が現場に到着した時は正雄の顔はまつ青で気分が悪そうな様子であつたことからもこのことが窺われる。)、また、事故後の経過は前記(二)認定のとおりであるが、勤務先への連絡、警察官の実施した実況見分の立会、山崎病院での治療、中警察署への出頭及び取調べ(正雄は同署警察官の指示により診断書持参のうえ出頭したものである。)はいずれも轢き逃げ事案でもある本件事故により正雄に課せられ余儀なくさせられたものであり、これらは正雄にとつて多大な情動ストレスと過度の精神的、肉体的疲労を与えたであろうことが認められる。

してみると本件事故及びその後の経過による情動ストレスが、本件事故から約六時間半後に勤務先に戻つた正雄に対し、急性増悪因子となり、急性心不全をもたらし、死の転帰をとつたもの(この点につき名古屋市立大学医学部助教授米田春毅は、心筋梗塞を有する正雄が本件事故に会い、それによる情動ストレスとその後の経過の精神的、肉体的過労とによつて従来存在していた心不全が増強され、また以前から存在していた心室性期外収縮(不整脈)が頻発し、勤務先へ帰つて気が緩んだ途端心室性期外収縮から心室細動へ移行し、突然死をきたしたと考えられると判定しているところである。)と認めるのが相当であるから、本件事故と正雄の死亡との間に相当因果関係があるものと解すべきである。

もつとも、正雄は前記認定のとおり重い循環器疾患を有していた者であり、それ自体急性期死亡(突然死)を起こす率が高いものであり、さらに正雄はこれを認識していたはずであるから本件事故後安静を保ち、飲食を摂取するなど急性心不全の病変を回避する措置をとることもできた(前記本件事故後の経過はいずれも正雄に課せられ余儀なくさせられたものとはいえ、自らの疾患を認識していた正雄としてはその事情を話して、病変を回避する措置をとり得たといえよう。)ともいえるから、本件事故による損害の算定にあたつては、衡平な損害負担の理念に照らし、本件事故の寄与率は二割と認めるのが相当である(なお、被告は本件事故後正雄は安静にし、飲食を摂取するなど病変の発生を防止すべきであつたのに不注意により病変を回避しなかつた過失があり、死亡という被害に損害が拡大したのであるから、これを斟酌し、過失相殺すべきである旨主張するところであるが、右のとおりこの点も考慮して寄与率を算定しているので、右事情による過失相殺はすべきではない。)。

三責任原因

請求原因3の事実は当事者間に争いがない。したがつて、被告は自賠法三条により本件事故による原告らの損害を賠償する責任がある。

四損害

1  逸失利益 八一三万一六二二円

<証拠>によれば、正雄は本件事故当時満六七才であり、訴外名古屋急便協同組合に勤務し少なくとも月二二万円、年間二六四万円の収入を得ていたことが認められる。してみると、正雄は右年収のうち生活費としてその四割を控除した一五八万四〇〇〇円を就労可能年数六年間にわたり逸失したと認めるのが相当であり、年別ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して本件事故時の現価を求めると、次のとおりになる(但し、計算にあたつては、円未満は切捨てる。以下同じ。)。

生活費控除 6年のホフマン係数

22万円×12×(1−0.4)×5.1336=813万1622円

2  慰藉料 九〇〇万円

正雄が本件事故による傷害、死亡により精神的苦痛を被つたことは明らかであり、これに対する慰藉料は九〇〇万円が相当である。

3  葬儀費 六〇万円

弁論の全趣旨及び経験則によれば、本件事故と相当因果関係にある損害として被告が負担すべき葬儀費は六〇万円が相当と認められる。

五相続

<証拠>によれば、原告後藤智子は正雄の妻であり、その余の原告らは正雄の子であることが認められ、正雄の死亡により同人の被告に対する損害賠償請求権(前記三の損害額合計一七七三万一六二二円の前記寄与率の二割である三五四万六三二四円)を法定相続分に応じ、原告後藤智子において二分の一(一七七万三一六二円)を、その余の原告らにおいて各六分の一(五九万一〇五四円)をそれぞれ相続したものというべきである。

六弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは本件訴訟を原告訴訟代理人に委任し、相当額の費用及び報酬の支払を約しているものと認められるところ、本件事案の性質、訴訟の経過、認容額等に照らし、原告らが本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用は、原告後藤智子につき一五万円、その余の原告らにつき各五万円と認めるのが相当である。

七結論

以上の次第により、原告らの本訴請求は被告に対し、原告後藤智子につき一九二万三一六二円、その余の原告らにつき各六四万一〇五四円及びこれらに対する本件事故の日である昭和五六年一月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官駒谷孝雄)

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